ベンチャー企業/起業/WEBコンサルティング

StockSun株式会社の代表ブログ

ベンチャー企業/起業/WEBコンサルティング

【保存版】ベンチャー企業に新卒就職した結果。。(意識高い系の早稲田大学生の場合)

『大手企業かベンチャー企業か論争』がついに決着

こんにちは。

StockSun株式会社 代表の株本祐己です。

 

1990年生まれ。早稲田大学卒業後、社員数名のベンチャー企業に就職。

その後コンサルファームを経て、独立。

現在の年収は約7000万円。(月間利益600~1000万円)

※2018年7月時点

 

最近だとこんな取材も受けました

assist-news.site

 

本日は、新卒でベンチャー企業に就職した私が、どのような流れで今に至ったのかを時系列でストーリー仕立てで書いていきたいと思います。

 

時系列に沿った年収もすべて公開します。

最近セミナーもやったのでご興味ある方はこちらから

フリーランスサミット|ikuyotomubak1124|note

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早稲田大学

東日本大震災

2011年3月、当時私は、早稲田大学2年生の春休み期間。

地元のしゃぶしゃぶ温野菜のアルバイトで日銭を稼ぎながら、大学の友人たちとボウリング、ダーツ、カラオケ、ビリヤード、合コン、等をしてだらだら過ごしていました。

アルバイトの時給は900円。

 

特に現状の大学生活に不満も焦りもなく、将来についても特に何も考えておらず、このまま平和な日々が続くと良いな~、と、ぼんやりと考えておりました。

 

そして3月11日、誰もが記憶に鮮明に残っているであろう東日本大震災

 

その日、いつもの通り大学の友人とキャンパスの近くで昼ごはんのラーメンを食べて、ダーツしにいこうと古びたダーツ屋に向かっていたときのことです。

 

みんなで横一列で冗談を言ったりしてケラケラと笑いながら歩いていると、突然ゆらゆらと視界が揺れ始めました。

 

「あれ、ヤニクラ(タバコを吸うと起きる、軽いめまい)かな?」

 

くらいに思ってましたが、民家の瓦がボロボロとおちてくるのを目の当たりにし、これはただ事じゃないなと、すぐに緊張が全身にピリッと走ったことを今でも覚えています。

 

幸いにも近くに住んでいる友人の家に泊めてもらえたため、その日は大事を免れ、翌日、無事に実家に帰宅することが出来ました。

 

この日をきっかけに私の生活は一変しました。

 

 

 

大学から「1か月春休み延期します」と通知

大学生は本来春休みは3月です。しかし、3月11日に東日本大震災が起きてしまったため、大学側でもいろいろな対応が積もり積もっていたのでしょう。

 

春休みが3月31日までではなく、4月30日まで延期されました。

 

 

 

動き出す意識高い系

ここで、意識高い系という、若干揶揄する表現をするのは適切ではないかもしれませんが、当時の私の感じた事をそのまま記載しようかと思い、あえて使わせていただきます。

 

春休みが1か月伸びたことによって、私は、だらだらと過ごす期間が伸びました。

 

もちろん授業がある日もだらだら過ごしていましたが、春休み期間は、より、磨きをかけてだらだら出来るのです。

 

しかし、当時流行っていたmixiに、意識高い系大学生の友人らが、この1か月の期間を使って何をするのか、一斉に投稿しはじめました。

 

私はそれを見て焦ります。

 

「ボランティアに行きます!」「世界一周することにしました!」「ヒッチハイクします!」「インターンします!」「短期留学してきます!」「NPO法人に参画します!」

 

なるほど、意識高い系の大学生は、この1か月をそんなアクティブに過ごすのか。

そうしたら、私も何かやらないと、相対的に意識低い系になってしまう。

 

意識高い系になりたいわけではないが、意識低いって思われるのも嫌だ。

 

周りの意識が上がったなら、私も合わせてあげないと、相対的に意識が低下してしまう。

そんなくだらないきっかけから、どんな意識高い系の行動をおこすか考えました。

 

 

世の中の大半の人はサラリーマンになるんだよね?

意識高い系の選択肢を色々と考えてみましたが、そもそも意識高い系の行動を起こす目的って何だろうかと考えてみました。

成長したいから行動するのか?

そもそも成長ってなんだ?

成長するとどんないいことがあるんだ?

ポイントとなったのは、「成長したい」という、最も汎用的、且つ定義があいまいな厄介キーワードでした。

当時の私はこう考えました。

 

結局我々の大半はサラリーマンになるんだから、成長とは就職後につながるスキルや経験を得る事だ。

その成長が出来る環境は、おそらくベンチャー企業だ。

 

そして私は、「ベンチャー企業 インターン」で検索しました。

 

 

 

輝く『ベストベンチャー』のバナー

何社かベンチャー企業の採用ページを閲覧していましたが、一つだけ、

『当社はベストベンチャーに選ばれました!』

というバナーが掲載されているベンチャー企業を見つけました。

そしてそのHPにはこう書いてありました。

 

「当社は社員を成長させます」

 

なるほど、、。これは、私の目的にぴったりのキャッチコピーだ。

ここに入社したら成長させてもらえるのか。

 

そしてどんな賞なのかよくわからないけど、ベストベンチャー?に選ばれるってことは相当凄い企業に違いない。

 

そして事業内容が、

「インターネット広告代理業」

と記載されている。

 

どんな仕事なのか全く想像つかないが、広告と名の付くものだから、きっと面白い仕事なんだろう。

 

IT系っていうところもイケてるし、社長もイケメンだし、HPの雰囲気も良さげだし、ここなら成長できそうだな。

 

気が付いたら携帯を手に取り、応募の電話をかけていました。

 

 

 

面談し、即日採用

応募の連絡をして、担当者と日程調整をした後、1週間後に面談をしました。

 

渋谷に構えていたオフィスは、さすがベンチャー企業というか、とにかく物が多く、歩くスペースも狭く、お世辞にも綺麗とは言えない場所でした。

そこでモノをずらして、出てきたイケメン社長と面接をしました。写真の通り、なかなかイケメンである。

 

このとき出会ったイケメン社長、「島袋さん」が、後に私の人生の中で最も大きな影響をもたらす1人になるとは、その時は思いもしませんでした。

 

面談では、ありきたりな事を聞かれました。

おそらくベンチャーなので、面談のマニュアルも面接評価基準も特になかったんだと思います。

 

結果、

「明日から来てください」

と言われました。

 

時給は1100円。

 

凄いスピード感だな、と思いました。

当時そのベンチャー企業は社員数5名。

採用広告を出したとしても簡単には優秀な人材は集まってこないでしょう。

 

世の中のベンチャー企業のイメージって、急成長したDeNAとかサイバーエージェントとかでしょう。

 

わけが違います。

5人ですよ。社員5人。

 

だからこそ、即日採用だったのかもしれません。

 

誤解を恐れずに言うと、、

ある程度余裕が出てきたベンチャー企業からしたら、私のような、世間的には高学歴とされる早稲田大学で意識高く行動しようとして門戸をたたいてきた学生を、時給で雇えるというのはおいしい話だったのかもしれません。

 

だからこそ、即日採用だったのでしょう。

 

 

くるぶしソックス、居眠り、無断欠勤のトリプルコンボ

翌日から晴れてベンチャー企業インターンを始めた私は、なんだか大学の同期と比べても一気に大人になった気分でした。

 

今までは調布の実家の近くにあるしゃぶしゃぶ温野菜でキッチン担当のアルバイトをしていたので、スーツの大人と話す機会はほぼ無く、社会に片足を踏み込んでいるこの環境は私を非常に高揚させました。

 

しかし、ビジネスの「ビ」の字も知らない私が、ベンチャー企業とはいえ法人営業を中心とした企業内でいきなりまともに仕事をできるわけがありません。

 

当然入社直後は、ゆとり社員そのものでした。

 

まず入社当日、私は成人式用に買ったスーツに、くるぶしソックスを履いて出社しました。

 

やんわりと島袋社長に、「くるぶしソックスはやめたほうがいいかもね」と言われましたが、当時の私はくるぶしソックス以外の靴下は持っておらず、お金も持っていないため、その後も何度かくるぶしソックスで出社しました。

 

生意気にも足を組むと、肌色のスネがちらりと見えるその姿はとっても恰好悪かったに違いありません。

また、そんな私を根気よくしっかり育てようと、島袋さんは色々な会議や、クライアントさんのところに連れて行ってくれました。

 

しかし、連れて行ってもらった会議は、WEBの話が多く、私にはさっぱり何を言っているのかわかりません。

気が付いたら会議で居眠りをしていたこともありました。もちろん周りにはバレバレです。

 

無断欠勤をしてしまったこともありました。メールで「この日出社します」と記載して送った内容に誤りがあったことを気が付かず、当日になっても出社しない私は無断欠勤となりました。

 

そんな状況が続き、島袋社長は私についにブチ切れました。

 

「お前、ふざけんな、あそびじゃねえんだ」

 

切れられて当たり前でした。

 

意識高い系の環境に身を置きながら、意識が並のアルバイトより低いという荒業を続けていた私は、初めて親以外の大人にブチ切れられたことによって、心を入れ替えようと誓ったのでした。

 

 

 

新規事業を立ち上げを任される

当時サイバーエージェントが広告代理業で粗利を稼ぎ、その利益をameba等の自社メディアに投資して成功したストーリーが、ネット広告業界ではモデルケースとされており、皆、真似をし始めた時期だったかと思います。

 

私のいた会社も、広告代理業で、社員5名にしては結構な金額を稼いでいたかと思います。

その粗利を新規事業の新しい自社メディアの立ち上げに投資しようとしていました。

 

そのメディアは、フランチャイズ本部と、フランチャイズをやりたい脱サラオーナーのマッチング」という、なんともニッチな産業でした。

 

いや、正確にはリクルート社も行っている産業のため、ニッチではないのですが。

大学生だった私には、「フランチャイズ」という言葉も初めて聞くし、そんなサイトがどこに需要があるのかが全く分からなかったため、本当にこんなコンセプトで大丈夫なのかな、、

と思った事を覚えています。

 

そして、タイトルの通り、「お前、これやってみないか」と言われました。

正確にいうと、任された、というよりかは、社員が5名しかおらず人手が足りないから私が担当した、というほうが近いのかも知れません。

新規事業というのはおしなべて、いつ黒字になるかもわかりませんし、もしかしたらそのまますぐに撤退するかもしれません。

 

そんな事業に6人目の正社員を一人雇って、大きな金額を投資するよりかは、アルバイトの私が担当して様子を見ながら始めたほうがリスクがかなり軽減できるという思惑だったのかもしれません。

 

真相は闇の中ですが、そうして私は大学生ながらにして、「新規事業を任される」というベンチャーでしか出来ない経験とチャンスを得たのです。

 

 

 

 

 

フランチャイズオタクになる

フランチャイズが何かもよくわかってないのに、フランチャイズのサイトを作れるわけもありません。

 

初心者向けのフランチャイズ本を購入し、熟読しました。

 

今考えると、フランチャイズというのは、ある種ビジネスモデルの販売で、色々なビジネスモデルを学ぶこととなります。

 

勉強しててとても面白かったのが功を奏したかもしれません。

 

みるみるうちにフランチャイズというものにのめりこみ、卒業論文フランチャイズについて書いてしまいました。

 

おそらく私は当時、日本で最もフランチャイズについて詳しい大学生だったと思います。

そして、自分で勉強したフランチャイズについて、ブログを書きました。フランチャイズの知識をアウトプットする場としてブログを書き続けました。

 

あとから考えると、この勉強方法が非常に効果的で、自分の勉強になるだけでなく、サイト自体にそのブログをあとから埋め込んでたことによってブログのSEO対策としても非常に有効でした。

 

 

 

島袋社長の想定を大きく超えた契約スピード

そんなこんなで、制作会社からサイトの枠組みが納品されました。

WEBサイトの枠組みを作ったらこっから本番です。

 

まずは広告掲載をしてくれる企業を営業で集めないといけません。

 

ただ、集客をしていない一人も集まらないサイトに広告掲載でお金をもらえるはずもありません。

最初は

「無料で広告を載せないか」

という営業活動を始めました。もちろんお客様はみなフランチャイズ本部です。

 

当初、島袋社長の想定では、6か月程で30社ほど掲載できれば良いと考えていたそうです。

 

最初は1社1社営業活動で回りました。

無料でいいから掲載してください、といったら、よほど大手の会社でない限り、意外とみなさんOKしてくれました。

 

そしてみるみるうちに掲載企業が増えていきました。もちろん無料掲載なので売上は0円です。

 

一方で、無料なのに1社1社営業に回ることが時間の無駄に思えた私は、試しに電話で営業活動をしてみることにしました。

 

すると、無料だったら電話でもOKを出して掲載をしてくれるところが多く、あっという間に30社掲載を達成しました。

 

おそらく開始から2か月も経ってなかったかと思います。



 

 

おなかがびっくりしちゃった、うかい亭 表参道店

新規事業が想定の3倍のスピードで進んでいる事がとても喜んでいただけたのでしょうか。

 

私含めてデザイナーの方と30社達成記念に、達成会をしてもらいました。まだ売上0円なのに。

 

大学生の分際でこんな高いお店でシャンパンとか鉄板焼きを食べて、おなかがびっくりしちゃったのでしょうか。

 

返りの渋谷駅で戻してしまいました。意味わかんないですよね。自分でもなんで戻したのかはいまだに謎です。後日島袋社長にそれを話したら、「もったいねえな」と言われました。

 

それ以外も色々と「お金持ちの遊び」に連れて行ってもらい、

『大学生ながら伸び盛りのベンチャー企業のおいしい蜜を吸わせてもらう』

という、なかなか良い経験をさせてもらいました。

 

そして、大学生の私が、特に売上を上げているわけでもないのにここまで良い思いをさせてもらえている事がとても幸せで、すっかりベンチャー企業での仕事に夢中になっていました。

 

また、時給も1300円と上がり、週3勤務で月収は15万円前後と大学生としては結構な金額のお給料を頂いていたかとおもいます。

 

 

 

初のマッチング成立 そして有料サイトへ

無料掲載はその後も怒涛の勢いで増えていき、半年もたたないうちに掲載社数は100社を超えました。

 

WEBに詳しい方ならお分かりかと思いますが、WEBサイトにページが増えれば増えるほど、SEO対策となり、検索に引っかかりやすくなります。

 

そのため、掲載社数が増えるにつれて、WEBサイトに訪問しにくる方が増えてきました。訪問してきた方は、気になるフランチャイズがあればその場で資料請求をすることができます。

 

そんなサイトを運営しているある日、介護のデイサービスを運営している企業から電話が来ました。

 

「御社のサイトから資料請求してきた人が昨日加盟契約にまでつながったよ。

もっと資料請求が来るようにしてほしい。お金は払うから」

 

という内容でした。

 

それはそれは嬉しい内容でして、この電話が初の売上につながったものです。

新規事業を開始して、半年ほどたった時のことでした。

 

 

お客さんの大半が頭のおかしい社長

一般的にフランチャイズ本部というと、大手コンビニや大手の外食産業をイメージされるかと思います。

しかし、実際には、学習塾やデイサービス、ハウスクリーニングや美容マッサージ等、様々な業種があり、世にあるチェーン店の大半はフランチャイズなのです。

 

そして各社の多くが、

フランチャイズ開発担当は社長か役員

です。

 

これには理由があって、直営店の運営と、フランチャイズ開発の業務内容はだいぶ異なるため、社員を担当に置きにくい事が主な理由です。

 

もちろんある程度慣れていたり組織化されていたら一般社員が担当しても問題ないですが、社長・役員が担当せざるを得ない状況の会社も多くあるのもまた事実でした。

 

そのため、大学生ながら、各社の役員の方や社長に対して営業をすることが多く、良い意味でしびれる経験が出来ました。

 

社長というと、大半が頭がおかしい人ばかりでして、契約してもお金を払わない人もいましたし(もちろん強制回収しにいきました)、自分が書いた本を買わないと帰らせないぞ!と恫喝してくる人もいました。

一方で、毎回商談はキャバクラで行うようなバブリーな社長もいましたし、僕への応援も込めてお金を多めに出してくれるような方もいらっしゃいました。

 

総じて皆さまはオーラがある方ばかりで、おどおどしてると覇気だけで吹っ飛びそうになってしまいます。

 

また、社長相手に営業をするという事は、当然、提案の質も高く求められますし、費用対効果も鋭く突っ込まれます。

 

社長業をやっているという事は、人格うんぬんを除いて、総じてビジネス戦闘力は高い方ばかりです。

建設的な話ができなかったり、ありきたりな提案をしてしまうと相手にしてもらえません。

いかに相手の立場を考えながら、希望に沿った提案が出来るか、という能力が必要とされます。

毎日毎日、社長や役員の方を相手に営業しているとさすがに力が付いてきました。

大物にも動じない精神力も身に付きました。

また、「社長」「取締役」という肩書と多く知り合う事が出来ました。

 

ここでの経験と人脈が、後々自分の人生を大きく前進させてくれます。

 

 

 

伸び続けるベンチャー企業と甘い蜜

私の担当している事業も、有料サイトへとなってからは少しずつですが売上もあがっていき、1年2か月くらいたった時についに粗利ベースで黒字化しました。

 

営業利益ベースではまだ赤字でしたが、事業としてはやっとこさ黒字となりました。

 

一方で、本業のインターネット広告代理業は飛ぶ鳥を落とす勢いで伸び続け、社員数も20~30名ほどまで増えていきました。

 

各所から、「超大手企業の〇〇社と取引開始!」とか「売上目標達成!」とか景気の良い声が聞こえてきます。それはそれは、社内には活気が満ちあふれていました。

 

私はそこに貢献したわけではないのですが、社員旅行で台湾、翌年はグアム、等、儲かってるな~と思う事がたくさんありました。

 

そして、

「ああ、この会社伸びてるんだな」と最も大きく感じた出来事があります。

それは、事務所移転でした。

 

冒頭にも記載しましたが、それはそれはお世辞にも綺麗とは言えないオフィスでしたが、移転したオフィスはそのビルの隣の隣で、とても広々とした空間でした。

 

渋谷にあるIT系企業の中でも、もしかしたらこのまま中堅、いや大手に追いつけるんじゃないかとまで思わせるほどの成長スピードでした。

 

そして何よりも、自分もその会社の中心として動けているんだ、という気持ちが余計に自分を高揚させました。

会社が伸びてるってすごい!と鳥肌立ったことをまだ覚えています。

 

 

新卒入社を決意

その時期、ちょうど就職活動で周りが動いていた時期でした。私もそろそろキャリアを考えなければいけません。

 

当初この会社にインターン入社したのは、サラリーマンになっても役に立つスキルや経験を得るためでした。

 

しかしいざインターン入社してみると、事業は楽しいし、給料も良いし、会社も伸びてオフィスも綺麗になったし、島袋社長にもかわいがってもらえるし、他の会社を選ぶ理由が見当たりませんでした。

 

一応、他社の説明会とかには参加してみましたが、あまりピンときません。

 

まだ記憶に残っているのが、サイバーエージェントの説明会に参加した時、数百人の参加者の前に、当時人事部長兼取締役だった、曽山さんという方が私たちに向かってこのような事を言いました。

 

「私が当社に入社した時は、まだ会社が数名の時期でした。」

 

この一言が衝撃的でした。

 

つまり、逆説的に言うと、社員数名の時期に入社しないとあの位置には立てないのではないか。

 

そしてたまたま、私が今所属しているベンチャー企業も入社時まだ社員は5名だったではないか。。。。

 

私は今の会社でこのまま順調に成長すれば、将来あのような場所に立つことが出来るのではないか。

 

そう考えた私は、ベンチャー企業への新卒入社を決意しました。

 

 

 

連戦連敗の就職活動

ベンチャー企業への入社を決意したものの、せっかくだし、いろんな企業の面談を受けてみようと思いました。

 

2年間ベンチャー企業で事業の立ち上げとかかっこいいことをやってる私が、就職活動マーケットに入ったらどれだけ企業からモテるのか試したかったのかもしれません。

 

そして、大手企業、有名企業、人気企業、どんどん受けていきました。

私に内定通知書が殺到する、、、かと思っていました。

 

が、結果、連戦連敗でした。

 

納得がいきませんでした。なぜこんだけ学生ながら意識高く行動している私が、連戦連敗しなければいけないのか。

お祈りメールに凹みながら、悶々とした日々を過ごしていました。

 

しかし、ある日、グループ面談で他の学生と並んで自己PRをした際に、他の学生と私の致命的な違い、そして私の欠陥に気が付きました。

 

私「自分こんだけ凄い奴なんで、いりませんか?」

他の学生「御社のこのような部分に惹かれたので、入社させてほしいです」

 

スタンスが全く違いました。

私は偉そうでしたし、まったく相手本意ではありませんでした。

 

企業研究もせず、自分の凄さをいかにかっこよく見せるかだけを考えていた私は、相手からしたら鼻につく存在になっていたのかもしれません。

就職活動も後半の時期でしたが、やっと自分の間違いに気が付くことが出来ました。

 

その後スタンスを改善したことにより、大手グループの広告代理店等の内定は獲得できましたが、もちろん入社することはありませんでした。

 

 

 

社会人(ベンチャー企業)編

新卒入社、そしてプロレスラー上司も入社

他の企業を色々見た結果、やはり今のベンチャーに入社したい。

 

ある日島袋社長に、

「他の企業の内定も取りましたが、やはりこの会社に入りたいです。」

と伝えました。

とても喜んでくださいました。「宜しく!」と言われがっちりと握手したことを覚えています。

 

そうして私は、

新卒で月給26万円+賞与

という契約にて入社することが決まりました。

 

伸び盛りのベンチャー企業はとにかく人手不足です。

 

事業も黒字化し、これから伸ばしていこうというタイミングで、新卒入社する私の上に新しく20代後半の男性社員が中途入社で入ってきました。体育会系出身の、ゴリゴリの営業マンです。

 

この日から約2年間、私はこの身長約180センチ、体重想定100キロほどのプロレスラーのような上司に悩まされることとなります。

 

 

パワハラプロレスラー

黒字化してからは一気にエンジンをかけて、有料広告掲載の営業をフル回転させました。

ある程度のサイトのアクセス数と資料請求数が見込めるようになった今、最初から有料掲載を提案することが可能となりました。

 

営業と内勤も増え、一気に営業活動を強めていったおかげもあり、事業の売上はどんどん伸びていきました。

 

またWEBサイトだけではなく、秋葉原UDXやヒカリエ等の大きな箱を借りてフランチャイズイベントを開催し、業界内での存在感を強めていくことに成功しました。

 

また、私は主にWEBマーケティングを担当していましたが、「フランチャイズ」で検索した際にリクルート社の運営するサイトに次いで2位で表示させることに成功するなど、順調にマーケティングを伸ばしていくことが出来ました。

 

しかし、伸びる業績と比例して業務量も皆増えていき、かなりストレスフルな状況が続いていました。

 

業績が伸びると目標数字も伸びていくため、常に走り続けなければいけなく、土日も仕事のことで頭が一杯でした。

また同時に、プロレスラー上司のパワハラエスカレートしていきました。

 

「お前ら、声が小さいからそこで立ってお互い1分間大声で褒めあえ」

 

と全社員の前で叫ばされたり、金曜日の夜に

 

「今週の君は20点/100点だったので、土日も出社してください。来週は朝7時に出社して終電まで働いてください」

 

とメールが来たり。。

 

完全にアウトなパワハラを約2年間受け続けました。

途中で入った新卒の後輩は、そのパワハラによってストレスで吐血したこともありました。

 

 

 

それでも頑張る。給料は事業部粗利の5%だったから。

ベンチャーだからこその話かもしれません。

新卒で入社して半年後、契約更改の面談がありました。

私には給料に関しては強い想いがありました。

 

それは

 

「大学の同期が大手企業に進むなか、私はベンチャー企業に進んでいる。会社の看板で負けているのだから、せめて給料では勝ちたい。」

 

という想いでした。

大手商社に進んだ同期は、30歳で年収1千万円に到達する。私の新卒時(23歳)の年収はだいたい400万円弱。

 

あと7年で600万円年収を上げなければ30歳で1000万円に届かない。

 

つまり、毎年90万円ずつ年収を上げなければいけない。

 

そう考えた私は、契約更改面談の時に、ものすごく粘りました。長時間交渉しました。

 

島袋社長は後日

「あの時の面談が今までで一番疲れた」

と言ってました。

 

結果、私の契約形態が、

 

・固定給の26万円/月 + ボーナス

 

から、

 

・固定給26万円/月 + 事業部の粗利の5%

 

というインセンティブ制度に変更され、粗利を出すことに全力で頭と足を使う働き方に変わっていったのでした。

 

それによって、見込み年収も550万円ほどまで一気に上がりました。

当時、新卒1年目(6か月目)の23歳の時の出来事でした。

 

 

 

プロレスラー上司についに島袋社長が動く

あいかわらずプロレスラー上司のパワハラは続いていました。

 

毎日のように長文で人格否定メールが全社が見れるメール宛に届く。

 

精神的にはだいぶ参ってました。もちろん食事はのどを通りませんし、上司が近くにいるだけで動悸が止まらなくなります。

普通に考えたらそんなパワハラ許されるわけないじゃないですか。

 

でもベンチャーって人材の替えがきかないんですね。

 

その上司もクライアントを複数社持っていて、売上を作っているから簡単に異動とかもできないのです。

 

しかし、そのプロレスラー上司の態度は日に日に悪くなり、ついに出社をせずにメールで指示といびりメールだけ送ってくる暴挙に出始めました。

 

さすがにもう我慢できなくなった島袋社長は、そのプロレスラー上司を役職から外す決意をしました。

 

個人的にはもう少し早く決意してほしかったのですが。笑

 

その時の2人のやり取りはとても激しく、大声で言い合っていたため社内が凍り付いていました。

 

しかし社長のいう事は絶対です。もう外すとなったら外すのです。ついに2年間のストレスフルな環境に終止符が打たれました。

 

そしてその左遷と同時に、プロレスラー上司は会社からも姿を消しました。

 

このプロレスラー上司のおかげでメンタルはだいぶ鍛えられました。そういった意味では感謝しているかもしれません。

 

 

 

 

プロレスラー退任と同時に大きく伸びた事業

プロレスラー上司がいなくなり、事業部はかなり平和になりました。今までの体制は営業のプロレスラー上司がTOPにいましたが、退任後は「営業責任者」と「マーケ責任者(私)」のダブルヘッド体制となりました。

 

これにより、クライアント>ユーザーではなく、クライアントとユーザーを対等の関係とする考え方に変わったため、サービスの品質が向上しました。

 

また、営業手法を今までの「資料請求数に応じた広告掲載料金」から「何件資料請求が来ても変わらない月額固定費用」という契約モデル変更も行いました。

 

イベントの集客も今までは大手の新聞社とアライアンスを組んでその新聞をメインで集客をしていましたが、そのアライアンスを解消し、過去の実績ベースで広告媒体を選定する方法に変更しました。

 

こういったもろもろの変更が功を奏し、売上、粗利ともに150~200%伸びて、毎月連続で目標達成するほど成長させることに成功しました。

 

 

 

 

 

増える事業部のメンバーと私の給料

事業部が伸びるとともに、営業メンバーや制作スタッフ等が増え続け、最終的にはアルバイト込みで15名程度の事業部へとなりました。

 

当時私は24歳。もちろん部下となる方には30代、40代の方もいらっしゃいました。

 

そして年収は約800万円。

 

事業部でサテライト事業のような小規模新規事業も動き出し、ロサンゼルス、シンガポール、ニューヨーク等、短期間で多くの海外出張も経験しました。

 

仕事内容はマーケティングの責任者のため、広告出稿や新規企画、新規事業がメインです。

 

多くの業者の方々に飲みに誘われ、半分接待のようなこともされたりします。

 

間違いなく、大手企業に勤めている24歳では経験できないことをたくさんしていました。

 

お客さんだけではなく、取引先の業者も社長が多かったため、ここでの出会いもまた、私の将来に大きなレバレッジをかけてくれるものとなっていったのです。

 

 

 

 

サイトリニューアルと同時に傾く事業部

プロレスラー退任してから約1年。ここまでは、だいぶ順調に数字も推移して、まさに順風満帆な状況でした。

 

そしてここで、島袋社長から、

「サイトのリニューアルをしないか」

という話が持ち掛けられたのです。

 

サイト自体がここまでの規模になることを想定していなかったため、サーバーのスペックやサイトの設計に使っているシステムが負荷に耐えられなくなりつつあり、とても重くなってきた頃でした。

 

また、サイトの会員数も増えてきたためCRMが既存のシステムだとやや不便な事もあり、数字も順調なのでこれを機に一気にリニューアルをしてしまおう!という事でした。

 

もちろんリニューアルするにはプロジェクトマネージャーを置く必要があり、それはマーケティング責任者の私の仕事でした。

 

私はここから、約5か月かけて、SEO業者や、デザイン会社、システム会社と打ち合わせを重ね、プロジェクトを進めました。

 

今考えると、あれだけの予算のプロジェクトは、私のような、本業や海外事業で忙しい人が担当するべきではなかったのかもしれません。

 

また、詳細のスケジュールや計画を決めずに行き当たりばったりで進めていたのは間違っていたのかもしれません。

 

ここがベンチャーの怖いところです。

 

いざリニューアル当日、それまでいろんなケースを想定しながら対策をしてきたつもりでしたが、とてもばたばたした状態でその日を迎えてしまいました。

 

本来は実装していたかった機能なども「coming soon」という表記でごまかしたり、営業部との連携もうまくとれておらず、クライアントへの説明が不十分だったり、、と。

 

結論から言うとリニューアル直後、一気に問い合わせ数が落ちてしましました。

 

もちろん問い合わせ数が落ちるという事は売上が落ちるという事。

事業部の雰囲気が一気に暗くなりました。

 

問い合わせ数が落ちた理由は明確で、会員が新しいサイトに慣れておらず、使いにくかったのでしょう。

必死で改良を続けましたが、システムの変更というものは簡単には変えられません。

 

ゆっくり、ゆっくりと改善して原状復帰していきましたが、その間の3か月ほどは、私は胃に穴が開くかと思うくらい辛かった事を覚えています。

 

ベンチャー企業である以上、安定はありません。私の失態によって、事業部の皆の給料が稼げなくなったら本当に会社が潰れてしまいます。

結果的に回復したから良いものの、そのときはいっそクビにしてもらったほうが楽かもしれない。。と本気で思いました。

 

 

 

人生最大のハプニング「分社化」

そして私のベンチャー生活がついに大きく動き出します。

 

私のベンチャー企業には共同代表という形で社長が2人いました。

 

サイトリニューアルも落ち着き、これからどうやって伸ばしていこうか、という時期に、なんと会社の代表2人が、喧嘩をしてしまったのです。

詳細は割愛しますが、なんやかんやで、会社は分裂し、資本提携が一切無い、別会社として再出発する形となってしまったのです。

 

もちろんオフィスもバラバラですし、仕事のやりとりも発生しません。

 

私は新しく小さくなった会社で再出発を余儀なく強いられてしまったのです。

 

 

 

 

「分社化」がもたらした影響

会社が小さくなると、今までの経理や総務等のバックオフィスを回していた人や家賃含めて、固定費比率が上がってしまいます。

 

そのため、経費削減をしなければいけなくなります。結果、高給取りだった私の給料を下げざるを得なくなります。

 

年収は800万円から年棒制の625万円と約200万円ほど下がることになりました。

 

それについては理不尽だとも思いませんでしたし、自ら島袋社長に下げても大丈夫ですと伝えたことでした。

 

まさにベンチャー。給料はあっという間に下がります。

 

そして再スタートしたものの、どうも前と違って仕事に集中できません。

 

ちょうど社会人として3年。学生時代を含めるとこの事業に5年携わっていることになり、そろそろ他の世界も観てみたいなという気持ちが芽生え始めます。

この分社化は、一つの区切りなんじゃないか、とも思うようになりました。

 

また、社内の人たちもみんな大変です。会社が変わったことによって通常の業務以外にもたくさんの追加業務が発生します。

 

帰宅が遅くなる人も増えましたし、雰囲気もピリピリしていました。

社員の人からすると、突如

 

「会社が変わります、移転します、規模は小さくなるけどみんなで頑張りましょう!」

 

と言われても気持ちが追い付かない人もいたかと思います。

私もその一人でした。

 

 

 

参加したSEO交流会。あれ、俺って意外と戦えるじゃん。

新会社を開始して1週間たった金曜日、夜、知り合いが開催するSEO交流会に参加してきました。

 

参加者は20名ほど。そこでは各々が持っている事業のマーケ事例や、SEO知識を交換します。

私は今まで特に社外のマーケティング担当と交流は持っていませんでした。

理由としては、会社の本業がインターネット広告代理業のため、情報は常に社内にたくさんあふれていたからです。

 

本来サイト事業運営会社は閉鎖的になりがちですが、となりで広告代理業をやっていたため、情報に困ることは無く、社外にまで情報を求めに出かける事はありませんでした。

 

初めて、社外のマーケティング担当者と交流しました。

 

感想としては

「あ、俺って意外とレベル高いじゃん」

でした。

 

ベンチャーで粗利インセンティブの私が当たり前のようにやっていた、

『売上利益を本気で考えながらWEBマーケティングを行う』

マーケターなんてほとんどいなかったんですね。

 

レポートのひな型とか、綺麗な資料だったりとかに時間を使う、いわゆる大企業気質な方が多く、

「この人達はベンチャーだったら絶対成功しないな」

と思ったことを今でも鮮明に覚えています。

 

その交流会の帰り、私は決意しました。

 

「自分はもう外でも通用するレベルが身についた。外の世界でも挑戦してみよう」

 

 

 

夜12時、恵比寿に島袋社長を呼び出す

SEO交流会は秋葉原でした。日比谷線でそのまま恵比寿に向かい、恵比寿駅に島袋社長を呼び出しました。

 

「これから恵比寿来ていただけますか。お話ししたいです」

「了解」

 

やりとりはそれだけでした。おそらく内容を察したのでしょう。普通に考えたら、社長を夜12時に呼び出すなんてありえないですよね。

 

そして待ち合わせ場所で合流し、そのまま近くのバーに行きました。

10分くらい他愛のない話をした後、

 

「で、話ってなんだ?」

 

と言われました。

 

「。。。。。会社を辞めようと思います。」

 

そこから永遠にも感じる沈黙が続きました。

島袋社長は1点を見つめ、非常に長い時間沈黙していました。

 

もしかすると沈黙は3分程度だったかもしれません。

しかしそのときの沈黙は非常に長く感じました。

 

そして一言。

 

「わかった」

 

といいました。

 

全てを悟り受け入れてくれたようでした。

 

その日は2016年3月上旬。有給消化を認めてもらい、4月下旬までの在籍を条件に話がまとまりました。

 

島袋社長からしたらこれからスタートというときに、肩透かしを食らったような気持ちになったかもしれません。

 

しかし出会いがあれば別れもあるものだと爽やかに「頑張れよ」と言っていただいたことが印象的でした。

 

その後は、お互い思い出話などに華を咲かせ、とても楽しく話すことが出来ました。

 

 

 

転職活動開始

辞めるといったものの、次の転職先のアテがあるわけでもなく、私はパソナキャリアという人材会社に勤める大学の友人に相談をしました。

 

彼曰く、

 

「お前みたいな経験をこの年で出来ている人材はほかになかなかいないから価値は高い。

しかし、お前の年収をお前の年齢で出せる企業もまた、無い

 

とのことでした。

 

当時25歳。年収は600万円ちょっと。

 

私はこう返しました。

「年収は下がっても仕方ないとして、どんな企業に転職すると良い?」

彼はこう答えました。

 

「WEB系へ転職するなら、多くの企業が採用してくれると思う。しかしお勧めはコンサルティング会社だ。

WEBからWEBに転職するとこの先はWEBしか選択肢が無くなるが、コンサルをはさめば選択肢が一気に広がるからな。

コンサル会社にチャレンジしてみたらどうだ

 

なるほど、、。

コンサル会社にチャレンジしてみるのは良いかもしれない。

何してるかわからないけど、とりあえず応募だけすることにしよう。

 

 

大手WEB系企業の内定は取れた

コンサル会社にチャレンジする前に、普通に大手WEB企業の面談も進めました。

新卒時の面談とちがい、中途面談は、実績を基に評価されることが多いです。

 

私の実績を評価して採用してくれる企業は、想定以上に多かったです。

 

新卒時に就活で苦戦した経験があるからこそ、この違いには驚きました。

 

ベンチャーで頑張ってた人は、大手企業から欲しがられる」

 

という説は本当だったんだなと確信に変わりました。

 

 

大手コンサルティングファームの内定もGETできた

一般的にコンサルファームの内定ゲットはなかなか難しいものとされています。筆記テスト、ロジカルシンキングフェルミ推定、等、多くの関門が待ち受けています。

 

最終面接では先方の役員の方に、私の経験をとても興味深そうに聞かれたことが印象的でした。

 

自分が大手企業という枠組みから外れて、ベンチャーでがむしゃらにやってきたことに対して興味を深く持っていただいていることが非常に嬉しく、自分の人生を肯定された気持ちになりました。

 

そして、2016年4月下旬、まだ私がベンチャー企業に在籍していた時に、内定がきまり、コンサルティングファームへ転職することを決意しました。

 

ベンチャーの同僚たちもみな喜んでくれてとても嬉しかったです。

年収は、約550万円でした。

 

 

 

フリーランス

大富豪の社長にもベンチャーの経験を買ってもらえた

4月にベンチャーを退職して、コンサルファーム入社日を7月に設定した私は、5月6月は仕事のことを考えずにゆっくり休もうと考えました。

 

まずは取引先含め、ベンチャー時代にお世話になったお客様や関係者の方々にご挨拶を兼ねてお食事に行きました。

 

皆さま、私が辞める事を残念がりつつも、頑張れよと送り出してくださいました。

 

その中の一人がとあるWEB制作会社の社長さんだったのですが、その方とお寿司を食べているときでした。

 

「今から俺の先輩経営者が来るから」

と言って席を移動しました。

 

5分後、とても高価そうな時計や指輪をつけている30代くらいの方が登場しました。

見るからにお金持ちそうです。

 

その方含め、経営者の方々と、4名ほどでキャバクラに行きました。

 

キャバクラで、そのぎらぎらしている経営者の方と何分か仕事の事含めてお話をしていると突然

 

「君にピンときた!明日うちの会社に遊びに来てくれないか」

 

と言われました。

 

もちろん私は無職期間で暇でしたから、

 

「わかりました!」

 

とすぐに返事しました。

 

翌日、新宿にあるその方のオフィスに足を運びました。

すると先方の役員陣と事業部長の方が出てきて、

「このたびはご足労いただき有難うございます」

と歓迎されます。当時はおそらく50名くらいの会社だったかと思います。

よくわからないまま、その場で会議が始まります。机をはさんで1対4の構図でした。

先方のビジネスモデルを聞いたうえで、私の経験から

「このようにするといいのではないか」

と答える。そんな問答が続きました。

 

すると先方の方々が少しお互いにアイコンタクトを取ったかとおもった次の瞬間、とんでもない提案をされました。

 

「もしよければ、来週から時給2万円でWEB事業にコンサルティングに入ってくれないか」

 

という内容でした。

 

私は驚きました。

 

確かに話を聞く限りでは改善できることは多そうですし、私が思うようにやれれば確実に数字は伸びるなと思いましたが、一瞬返答に戸惑いました。

 

しかし無職期間ですし、何事もチャレンジだと思い承諾することになりました。

 

 

会社のピンハネの凄さに気が付く

日程調整をした後、結果的にそのコンサルティングを10時間ほど行いました。

時給2万円なので、20万円です。もしベンチャー時代の会社の売上利益として考えていたら大したことありません。

 

私の給料は粗利の5%でしたから今回の案件によって増える私の給料は

20万円×5%=1万円

です。

 

しかし今回は直接仕事を受けていて、無職期間なのでまるっと20万円をもらえます。

 

そして何より、『会社に属していない私自身に魅力を感じてお仕事をいただけた』という状況が何よりもうれしく、まさにベンチャーで培った経験が活きたなと思った瞬間でした。

 

 

 

1か月間の英語留学へ。出会った人はみな自由な人。

今後2か月間仕事がない状況なんてなかなか無いだろうから、6月は英語留学に行こう!と私はフィリピンのセブ島に1か月間の社会人向け短期英語留学に行きました。

 

そこでは朝から夕方までフィリピン人の先生とマンツーマンで英語の授業を受けて英語のレッスンをします。夜になったらそこの生徒と毎日みんなで飲みに出かけます。

 

正直、人生でもTOP5に入るくらい楽しい1か月間でした。

 

もっとこういう楽しいことをしたい。もっと海外にいきたい!

しかし私は7月から新しい職場が始まるので帰らなければいけない。

 

みんなはなんで長い期間こんな楽しい場所にいられるんだろう。何してる人たちなんだろう。うらやましい!

 

と思い、みなさんに仕事を聞いてみました。すると

 

・投資家

・経営者/自営業

フリーランス

・無職(転職期間中)

・専業主婦

 

の5構成であることが発覚しました。

 

私は、

・無職(転職期間中)

ですね。しかし来月から仕事があるので帰らなければいけません。

 

でも、

フリーランス

なら、なれなくもない気がする。

 

なぜならこないだ20万円フリーランスで稼ぐことに成功したから。。!

 

よし、将来自由な時間を確保できる働き方を目指そう!

と心に決めた旅でした。

 

 

社会人(大手コンサル)編

フィリピンとの格差に絶望するコンサル入社式

7月1日、コンサル会社の入社式に参加しました。

始まった瞬間、とてつもなく顔が大きくつやつやテカってる人が前に出てきてこう言いました。

 

「お前ら、これから1か月間、ここにいる20名で競争だから」

 

開始間もなくして、この会社に入社したことを後悔しました。

 

もちろんベンチャー時代に培ったメンタルは健在でしたが、なぜ突如知らない人にこんなこと言われなきゃいけないんだ、と非常に腹が立ったことを覚えています。

 

そして、床から膝くらいまである量の参考書をドカンと渡されて、

 

「明日から毎日テストする。成績を後ろにランキング形式で貼りだす。ここで上位になれないやつは、研修が終わっても活躍できないだろうね。」

 

とみたいなことを言われて脅されました。

 

 

 

圧倒的に地頭が良い集団がライバル

とにもかくにも、言われたんだからやるしかない。この組織に入った以上は組織の方針に従うのがサラリーマンの常。

 

私が前職でどんな実績があろうが、何人部下がいようが、関係ない。今は一番下っ端のペーペーからスタートです。

 

これでも私は中学受験で桐朋中高、そして現役で早稲田大学に合格。

普通よりかは勉強は出来る方だと思っていました。

 

しかし、現実は甘くありませんでした。早慶以上はもちろんのこと、海外大学卒までごろごろいる20人のメンバーの地頭の良さは想像以上でした。

 

「全員同じスタートラインで、同じ授業を受けているはずなのに少しずつ離されていく実力。」

 

状況的にまったく言い訳が出来ないがゆえにとてもつらく、敗北感を痛烈に感じました。

 

そして、こんな優秀な人材達とこれから競争していかなければいけないのか、、という状況に早くも世知辛さを感じました。

 

 

 

評価指標は、「稼働率×単価」

そんなこんなで、1か月間の詰込み研修が終わり、結果的には成績は真ん中くらいだったと思います。

 

しかしここからが本番です。

 

研修が終わり、ファーム(牧場)に放出された我々コンサルタント(牛)は、早くプロジェクトに入れてもらう(稼働する)必要があります。

 

稼働していない期間は、言い方悪くすれば給料泥棒です。

 

毎年給与改定に影響する評価指標は、

稼働率と個人売上(プロジェクト参画時についている自分の単価)」

が重要になります。

 

1年間ずっとプロジェクトに入って毎月100万円クライアントからもらえていれば

稼働率100%、年間売上1200万円

という評価になります。

 

定量評価に関しては、ベンチャーで培ったメンタルさえもってすれば大丈夫!と強気の姿勢で臨みました。

 

 

 

 

稼働率も単価も1位でアサイン決定したが、、

20名の同期の中で私が1番最初にアサインされました。

 

研修が終わる前からアサインが決まったため、稼働率は100%スタートでした。

 

そして私についた単価も130万円/月前後と、新人平均70万円前後と比べるとだいぶ良かった記憶があります。

 

プロジェクトに入ってからはがむしゃらに頑張りました。

プロジェクトをリリース(クビ)にならない限りは、稼働率100%を維持できますし、単価も高い。

 

このプロジェクトをうまく続けられれば私の給料も一気に上がる!

そう信じて半年間頑張りました。

 

正直、仕事内容は、本当につまらなかったです。

 

ベンチャーでは、粗利を考えて、何が正解かわからない中で自分らなりの仮設を立てて走ってきました。結果が出れば給料も上がる。

 

しかし、そこでの仕事はパワーポイントやエクセルを使ってただひたすらに資料を作ることでした。

 

「新人だったからでしょう」

 

という人もいましたが、違います。

 

マネージャー含めたシニア世代の人もみな、メインは資料作りでした。

 

さらにいうと私はクライアントである大手の金融機関に常駐していました。我々の会社の人達だけでなく、クライアント達の業務内容も、本当につまらなそうでした。

 

それが世の大手企業の普通なのかもしれません。

 

しかし、ベンチャーで色々な事を経験した私からすると、恐ろしいほどにつまらない仕事が積もり積もっており、こんなことに人生の貴重な20代の時間を使う事に恐怖すら感じました。

 

このめちゃくちゃつまらない仕事を、皆、つまらないと思っていないことが驚きでした。

 

 

 

 

最初の査定。目の前が真っ暗になる。

査定結果はWEBの管理画面で自分で確認しなければいけません。

いざ管理画面を開くと。。。そこには、雀の涙ほどの賞与が書いてありました。

あれ、何かの間違いかな、、?

 

もちろん1年目だから低いことは覚悟していましたが、まさか10万円程度とは思いませんでした。

 

半年間で900万円の売上を作っておいて、ボーナス10万円はひどい。すぐに上司に確認しました。

 

賞与が低い理由がわかりました。

 

定性評価が低かったんだよね~

 

。。。。

 

 

確かに上司に好かれてる感じはしなかったし、つまらなそうな顔はしていたかもしれない。

仕事もできなかったし、新人だから迷惑もかけた。

 

しかし同期で一番稼働していたし、売上も高かっただろうに。

 

定性評価の恐ろしさを知りました。世のサラリーマンはこうやって評価されているんだなと知りました。

 

定性評価、というものからしばらく離れていた私は、このやるせない気持ちをどこにぶつけられるわけでもなく、ひたすらに凹んで帰宅しました。

 

 

 

 

定性評価を上げるために上司と飯を食いに行きまくった

定性評価なんてどうやってあげればよいんだ?!

 

とりあえず上司に気に入られれば良いのか?

 

で、「共有の敵」が出来れば仲間意識が芽生えて、評価上がるのかな?!

とりあえず実行しました。

 

おそらく週4回は一緒に上司にくっついて昼飯も夕飯も食べていたかと思います。

 

次のボーナスこそは。。

と思い、早く帰りたい日も、体調が良くない日も、必ず上司にくっついてごはんに行きました。

 

 

 

定性評価が上がりボーナスがプラス評価

そんな形で定性評価を第一に考え、上司とぴったりくっついて仲良くなれる事を意識して生活し続けました。

おそらく3か月くらい続けたと思います。

 

結果、

 

2回目のボーナスが上がりました!!

 

定性評価がきっちりと上がっていました。おかげでボーナスも標準以上もらえる事に成功しました。

 

しかし、達成感と同時に虚しさもこみ上げていることに気が付くまで時間はかかりませんでした。

 

 

やっぱり定性評価ってクソだわ

ボーナスが上がった、評価が上がった。

それに関しては素直に嬉しかったです。

 

しかし、定性評価を上げる働き方には正直うんざりしていました。

これからずっとそんな事していくのは無理だなあ、、、

 

コンサルティングやエクセルパワポについては色々学べたし、そろそろ別のフィールドに行こうかなあ、、、

 

そんな事をぼんやりと考え始めた時期でした。

 

 

 

起業編

学習塾経営者、林社長から起業の提案

ベンチャー時代のお客さん、林社長は、学習塾や福祉施設等を合計150店舗ほど経営しています。

経営手腕もすごく、かなりの富豪です。

 

林社長にはかわいがってもらっており、コンサルに転職した後も飲みにつれていってもらう機会がありました。

その日も、久々に飲み行こうと誘っていただき、新宿で2人で飲んでいるときのことでした。

 

「最近どう?」

「正直あんまりおもしろくないです(定性評価の仕組みが)」

「じゃあ一緒に働いちゃう?」

「楽しそうですね」

「社員になる?起業してビジネスパートナーになる?起業したら月50万円発注するよ。

「起業してビジネスパートナーになりたいです」

「じゃあそうしよう!」

 

会話をまとめるとこんな感じでした。

林社長が提案してくれなければ私は起業することはなかったでしょう。

 

 

 

起業の決意と、顧客集め

いざ起業を決意すると、もう頭はビジネスの事でいっぱいになりました。楽しい楽しい。

本当に楽しいです。

同時に現時点で担当している仕事が急に拍車をかけてつまらなく感じてきました。

誰が使うかもわからない資料作りに何日もかけて、

「日本語がわかりにくい」

「句読点の使い方がおかしい」

など、資料品質向上のために目を光らせる業務ばかりでほとほと嫌気がさしていました。

仕事は定時で切り上げて、すぐに見込み顧客へのあいさつ回りを始めました。

 

実際に私が「WEBコンサル業」を開始するとなったときに顧客になってくれそうな方に順番に挨拶に回りました。

 

こういう時はベンチャー出身が強いです。

 

社長の知り合い、というだけで数十人はすぐ頭に浮かぶので。

 

しかも、自分が十分生活して生きていけるだけの金額の発注がすでに確定している。

毎日浮足立っていました。

 

 

 

ベンチャー時代の取締役がお客様に。

ベンチャー時代は先に記載しましたが社長が2人いました。

そしてナンバー3の取締役が1人いました。

この方も、分社化と同時に独立して自分で会社を経営されていました。

 

結論から言うと、挨拶に行ったその日に、

「月30万円でうちのこのプロジェクトマネージャー案件を年間発注させてよ」

と言われました。

 

私のベンチャー時代の働きっぷりをみて、最初から信頼して下さっていたゆえのお話でした。

 

「ありがとうございます、、!精一杯頑張ります!」

 

と答え、心の中でガッツポーズをしました。

 

 

私にピンと来てくれていた社長がお客様に。

次に私が挨拶に向かったのは、1年ほどまえに、時給2万円でコンサルティングをしたことがあった会社の社長でした。

 

こちらに関しては、会ったその日に、

「WEBコンサルティング

のお仕事を依頼してくださりました。

 

こちらは、20万円/月~、ご発注いただけることになりました。

 

こんなにあり難い話をしていただいたことに感無量でした。

 

自分が起業すると言ってからわずか2週間以内で、見込み月収が100万円に届いたこの状況が、にわかに信じられません。

 

※正確には粗利ですが、今回は月収という表現をしております。

 

本当にお客様に感謝です。

また、ベンチャー企業での経験がここに活きてきたため、島袋社長にも感謝です。

 

 

ベンチャー時代の同僚も皆起業していた

私のいたベンチャー企業は、累計で50名くらいは社員がいたと思いますが、そのうち15名は起業しています。

割合がすごいです。

 

そしてほぼみんな、大なり小なりご活躍されています。

 

そういう環境だったため、私には知り合いの社長がたくさんいました。そしていろんな方に話を聞かせてもらったりアドバイスをもらったりすることが出来ました。

 

ベンチャーで経験を積むと、独立しやすいのは確実です。

 

コンサル会社や大手の会社で独立しようと思ってもなかなかうまくいきません。

 

 

その後も案件は決まり、林社長も全面的にバックアップ

案件はその後もぽろぽろと決まっていきます。都度都度、林社長に報告しました。自分のことのように喜んでくださいました。もちろん資本提携はありません。

 

私がうまくいっていることを純粋に喜んでいただけている事が嬉しかったです。

 

また、起業するとなると、色々な手続きや、税理士とのやりとり等、わからないことや壁にぶち当たりまくります。

 

そんな時、林社長、林社長の会社の経理部長、島袋社長などなど、多くの方が丁寧に教えてくださったり、紹介してくださったりしました。

おかげ様で、法人登記までの流れは、おどろくほどスムーズに進める事が出来ました。

 

そして気になる初月の月収(粗利)は約160万円でした。

 

 

 

起業初日、経営者友達の家で桃鉄オールしていた

起業したと言ったら、

 

「寝る暇もなく働いて、さぞ忙しいでしょう」

 

なんて言われます。

 

しかし、私は起業する前から案件がすでに決まっており、あとは発注された業務を回すだけだったので、特別忙しくもなく、経営者友達と桃鉄オールして遊んですごしました。

 

むしろコンサル会社にいたときの方がよっぽど忙しかったです。

起業=忙しい

というイメージを持たれている方は多いと思いますが、

私自身は今、1日3~4時間程度しか働いておりません。

 

しかし、それでも毎月サラリーマン時代の何倍ものお金が振り込まれます。

お金も時間も余裕が出てくると、やりたい事が一気に手に届くようになります。

とても幸せで豊かな人生に変わっていきました。

 

 

まとめ編

結論、大手よりベンチャーのが100倍タメになった

もちろんこれから、私の会社も売上や利益なども多少は上下するかもしれません。

 

ただ、私には今までベンチャーで培ってきた人脈があります。

 

常に自分を高められる環境を持っています。だからこそ、没落していかない、自信があります。

 

成功者が近くにたくさんいるからこそ、正しい方向に常に走れます。

大手企業では絶対に得られない経験と人脈をベンチャー企業で得る事が出来ました。

 

 

 

高学歴こそ、ベンチャーに行くべきだ

正直、一発逆転を狙ってベンチャーに行くべきではないです。

地頭が良くて、行動力がある人間はベンチャーに行くと必ず活躍できます。

そして活躍したときに得られるものは、大手では比較にならないほどの大きなものです。

 

また、ベンチャー界隈では高学歴という存在は優遇されやすいです。チャンスを多く与えられます。そして成長機会も増やされます。

 

嫌でも育ちますし、実力が付きます。

 

そして私がコンサルファームや大手WEB会社に内定をもらえたように、大手企業に行きたくなったらすぐに転職できます。

 

 

新卒でベンチャー企業に入って頑張れば、個としての実力はつくし、大手にも行けるし、独立だって出来る。選択肢が無限に広がります。

 

 

個の時代になるこれからの働き方

これからの時代、ますます、個としての働き方が大事になってきます。

アメリカで労働人口の3人に1人がフリーランスと言われています。

 

フリーランス同士が集まてチームを組んで1つの会社の仕事を回しても良いわけです。

 

正社員と違ってフリーランスは別の会社の案件(副業)も受け持ってよいですし、

正社員と違って、発注側はいつでも契約を切れます。

 

非常に合理的です。 

 

フリーランス側も会社側もメリットがとてもたくさんあります。

今後、必ずフリーランスや個人で株式会社を持つ時代に変わっていきます。

 

大手企業内にフリーランスがたくさんいる、という状況に変わるでしょう。

 

まずはベンチャー企業に入社することを心よりオススメします。

 

 

 

最後に

大手サゲ、ベンチャーアゲの記事となりましたが、もちろん大手企業で活躍されている方は心より尊敬しております。

色々なキャリアがあって良いかと思いますが、世間一般でまだまだベンチャー就職に対しての抵抗が強かったため、すこし強めの表現を繰り返したこと、ご容赦ください。

 

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